飯田城下町サポーターの初活動してきました!!~面白かったよー(^^♪~

2022-10-05

いつもブログを読んでいただき有難うございます。城跡と歴史で日本を元気にする「知られざる素晴らしき城跡と歴史のナビゲーター」原 一六四(ひろし)です。

先日(10月2日(日))に飯田城下町サポーターとして初活動をしてまいりました。

飯田美術博物館が募集した飯田城の散策にサポーターとして参加して遺構を紹介・説明してまいりました。

実は今年は飯田藩堀家の初代藩主・堀親昌公(堀秀政こと名人・久太郎の孫になります。)が入藩して350年アニバーサリーイヤーなんです!!

そこで飯田城の本丸跡に建っている長姫神社の御開扉になります。この神社には以前も、このブログでも書きましたが御三霊様(堀秀政・堀親良・堀親昌)が祀られています。

神社には堀親昌公の木造が安置されており、この機会に見ることができます。御開扉は10月15日(土)になります。是非、良かったら、お参りに来てくださいね。

で、先日の活動の話に戻りますが、私は飯田城の元となった山伏丸という曲輪の担当となり山伏丸の説明をさせていただきました。

実は、この山伏丸は、その昔、修験者(山伏)が修行していた場所だったそうで、当時、飯田の地頭として、この地を治めていた坂西氏が、この場所に目をつけ自身の愛宕に構えた城と交換してもらったと言い伝えられてる場所です。

もともとは、ここが飯田城の本丸だったという話もあります。ともあれ、ここを起点に飯田城が出来ていったという事です。

飯田城は連郭式のお城です。山伏丸は、もっとも先端になります。この山伏丸には御蔵(おくら)といって武器や武具が納められた蔵があり、江戸時代の武士の勤務日誌のような物が残っているんですが、そこに、この山伏丸の蔵の見回りをしたと書かれています。

この蔵にあった武器とか武具は、家宝の事で堀家にとっては重要な物ばかり。正月の11日には具足開きをして領民にも公開してたそうです。

そんな山伏丸なんですが、私は飯田城跡では、この山伏丸は、もっとも魅力があると思ってまして、他にも魅力的な遺構はあるんですが、やはり私は山城や城跡が大好きで山城には、これはという魅力があるんです!!

それは何かといいますと・・・・・・次回、お話させていただきますね。