武田信玄が欲しかった地・飯田!?
いつもブログを読んでいただき有難うございます。城跡と歴史で日本を元気にする「知られざる素晴らしき城跡と歴史のナビゲーター」の原 一六四(ひろし)です。
さて前回、飯田城の元になった山伏丸の話をしながら城跡の魅力などに触れてきましたが、ここからは飯田城が見てきた歴史に触れていきたいと思います。
飯田城および、この飯田という地域は、時の権力者にとっては、とっても魅力的で需要な地域だったところです。
飯田藩・堀家初代藩主・堀親昌(名人・久太郎こと堀秀政の孫)は飯田藩に入藩して飯田の町の賑わいに驚いて息子に送った手紙に「飯田の賑わいは毎日、烏山(親昌の前の治めた藩・下野・烏山藩の事)の市のようだ」と書いているくらいである。
さらに堀親昌は「飯田は信州全域の流通の要だ」と書いている。それほど飯田という地域は重要地点であったことが分かる。
ちなみに、今、飯田藩と飯田城下町について飯田美術博物館において特別展を開催しております。今、紹介した堀親昌の手紙なんかも展示されているので良かったら見に来てくださいね。
さらに、ちなみになんですが私も飯田城下町サポーターとして11月6日(日)ですが展示品の説明などで飯田美術博物館に居ますので、会いに来てくださる方は待ってます!!(笑)
話をもとに戻すと、もともと信州を治めるにあたって最初に小笠原氏が貰った領地も、この飯田なのである。正確には伊賀良の庄と呼ばれた、この地域一帯である。
それほど昔より飯田の地は信州の中心地だったと言えると思います。
そんな地域だからこそ、時の権力者(実力者)が目を付けない訳がない!!最初に目を付けたのが・・・・・そう、皆さんがよく知るところでは武田信玄!!
皆さんは信州というと松本を追い浮かべると思います。もちろん、松本は良いところです。歴史好きの方は小笠原氏が信州を治めるのに拠点とした府中で松本を思い浮かべると思いますが武田信玄が欲しかったのは飯田だったと思います!!
彼は信州を支配するに飯田の地域は絶対に欲しい地域だったのです!!なにせ信州の経済を握っている地域ですから。ここを抑えれば経済的にも豊かになりますからね。
まずは信州で物流が発生するのは飯田なんです。ここから信州全域に物が流れていっていたのです。だから、ここ(飯田)を抑えることは物流を抑える事になるんです!!
じゃー武田信玄は、どのように飯田という地域の支配を進めていったのか、次回から書いていってみたいと思いますので、お楽しみに!!
ちなみに(ちなみにが多くてすみません。)先ほどの特別展には武田信玄の書状なんかも展示されてます。武田信玄ファンや歴史好きの方なんかは是非、見てみたい一品だと思いますよ。
特に面白い書状があるんです。それは・・・・実際に来てみて確認してみてくださいね。必見間違いなしです。飯田城下町サポーター・原 一六四の一押しです!!(分からなかったら原 一六四を訪ねてきてね♪)