城址の魅力とは!?
いつもブログを読んでいただき有難うございます。城跡と歴史で日本を元気にする「知られざる素晴らしき城跡と歴史のナビゲーター」の原 一六四(ひろし)です。
前回、飯田城下町サポーターとして、初めて、お客様をご案内して飯田城の説明をしてサポーター活動をしてきた話をしましたが今日は城跡の魅力について飯田城跡の話に触れながら話をしたいと思います。
飯田城は山城です。山伏丸は飯田城の最先端に位置してます。なので、そこに立つと飯田の領地が一望できるのです!!
まさに、それこそが城跡(山城)の魅力なんです!!
どういう事かというと、そこに立って当時、ここに城を建てようと考えた場合、自分が治める領地が一望できる場所であれば治めやすいですよね。さらに、それだけじゃ無く、坂西氏が飯田城を築城したのは室町時代と言われています、まだまだ争いが頻繁にあった時代ですから、当然、敵の侵攻も想定して選んだはず。
なんて考えながら、そこに立つと当時にタイムスリップした感じになるんです!!これが、面白い!!と私は思うんです!!たぶん、私一人じゃないと思うんですよね~~~(*’▽’)
で、山伏丸に実際、行って、そこでの風景を見ると領内はもちろん遠く三河、甲斐方面なんかも見えるんです。それまで坂西氏が拠点としていた愛宕城は現在、、愛宕神社が建っています。そこに行くと、領内は見渡せるっちゃー見えるけどなんですよね。実際、砦城だったようで、有事の際の城だったようです。
実際に行って見ると、あーやっぱり、こっちの方が良いなーって実感できます。
こういう事が出来るのが城跡(山城)なんです!!ちなみに坂西氏が飯田城を築城したとされるのは室町時代と言われています。詳細な年代は不明ですが、もし飯田城を建てたときが南北朝時代が入った室町時代なら、飯田の地も南北に分かれていましたから、それを見据えていたとも勝手に推測できるんです。
それは足利尊氏と直義が南北に分かれた兄弟喧嘩の時ですが飯田の地は小笠原氏は足利尊氏派で北朝。坂西氏は小笠原氏の一派でしたから、当然、北朝派。一方、同じ飯田の地に勢力を誇っていた知久氏は諏訪氏の系統で諏訪氏は直義について南朝派。なので知久氏は南朝派なんです。当然、この地でも南北の争いが無かったとは言えません。(記録はないですけど)
で、飯田城の山伏丸からは、この敵方の知久氏の居城・神之峰城が見えるんです!!相手が動けば、すぐに分かる。やはり地の利をよく考えてたんだなーって、そいう事が分かってくるのが城跡なんです!!
まさに坂西氏になった気分です(*’▽’)
ところで飯田城は、この後、時代の様々な局面に重要な地となり、時の権力者(武田信玄・織田信長・徳川家康など)の狙うところとなっていくんですが、それは、おいおいと話していくんでお付き合いのほどを宜しくお願いいたします。