上質の代名詞・・・・それは飯田の元結だった!?

2023-05-24

いつもブログを読んでいただき有難うございます。城跡と歴史で日本を元気にする「知られざる素晴らしき城跡と歴史のナビゲーター」原 一六四(ひろし)です。

先日「ひさかた和紙」や「飯田水引」を使った飯田城栞を作って販売する事になった話をしましたら、早速に、ご購入いただいた方がおられまして本当、有難い限りです。

早速にご購入いただきました方有難うございました。

前回も書きましたが、この売り上げの一部は和紙や水引の保存そして史跡の保存などに役立たせていただきます。

「私も応援してあげるよー」って方がいましたら下記のオンラインショップ「宗久」さんで販売してくださっていますので宜しくお願いいたします。

オンラインショップ「宗久」で飯田城栞をご購入して応援してくださる方はこちらをクリックしてくださいね。

さて、本日は、栞作成記念と言ってはなんですが我が信州飯田の紙の歴史について少々、面白い歴史上の人物が居ますので、その人物の紹介をさせていただければと思います。

信州飯田の紙の歴史は古く平安時代に編纂された「延喜式」に記述が見られるんです。そして江戸時代になり信州飯田・堀家の初代藩主・堀親昌が飯田に来て元結の製造を奨励したと言われています。

そして時は元禄。もともと尾張の元結職人であった桜井文七が信州飯田に来て元結の製造の改良に成功し、その製造方法を元結職人に教え販路を開拓したんです。その結果、出荷先としては11か国にまで及んだと言われています。その元結は「飯田元結」と呼ばれ全国に、その名が轟いたんです。そして文七は江戸に行き、この飯田元結を「文七元結」というブランド化に成功し大繁盛したのである。

その「文七元結」は上質の代名詞となっています。今でも信州飯田の元結は大相撲の髷の結いに使われているんです!!

そんな上質な信州飯田の紙の伝統が残っている和紙で作られた「飯田城栞」それこそ飯田の歴史が詰まった逸品となっていますので是非、この機会に、ご購入いただければと思いますので宜しくお願いいたします。

飯田城栞をご購入いただける方は、こちらをクリックしてくださいね。

ちなみに信州飯田には、この文七の墓があり、文七の功績を今も讃えています。

今度、飯田市美術博物館のイベントで「日夏耿之介の足跡を訪ねる」イベントがあります。6月11日(日)です。私も飯田城下町サポーターとして同行いたします。その時も、この文七の墓にも立ち寄ります。良かったら参加してみてくださいね。

参加に関しては飯田市美術博物館に問い合わせしてみてください。もし参加して原に声かけてくれた方には嬉しすぎて「飯田城栞」をプレゼントしちゃうかも・・・・